死にたいのトンネルを抜けました。

 

皆さん、こんばんは。

しょぼい喫茶店ではたらく店員 おりんです。

 

死にたいのトンネルをやっと抜けてきた気がするなあとぼんやり思ったので書きます。

「ちっぽけでいいから死にたい死にたいと思わなくてもすむ毎日が送りたい」としょぼい喫茶店で働きたいと言い出した時に言っていましたが、ここ最近めっきり死にたいと思う事もなくなって毎日をだいぶ安定した気持ちで送れるようになってきました。

 

真っ暗で何も見えないただひたすらに息苦しいトンネルからやっとやっと抜け出た様な気持ちです。

どうやっても抜けられない

だけど、どうしても抜けたい暗闇

だいぶ時間は掛かりましたがそのトンネルからやっと出てくることが出来ました。

これは暖かい光を灯し、こっちだよ~と温かい所に導いてくださった皆さまのおかげという他ありません。

「ここなら苦しくないよ」

「ここだったら心配ないよ」

「こうすればちょっと楽になるよ」

全部皆さまに教えて頂きました。

私に関わって下さった全ての方々のおかげで今があります。

本当に本当に心から感謝申し上げます。

 

抜けられないと思っていたトンネルも、動いてもがいて曖昧に人と関わっていくとどうにかこうにか抜けられるということが分かりました。

この先もずっとずっとしんどい事が死ぬまで続くと思っていたけれど、それは大きく覆されて今は未来が明るく感じられます。

 

失うものは何も無い。

毎日毎日死にたいと思い続けて生きるよりもしんどい事なんてない。

そう思ったので自分の弱い部分やだめな部分をネットでもお店でも正直にさらけ出してきました。

ここ数年は特に「生と死」についてずっと考えていて、大学で心理学の勉強をしてみたり、カウンセリングや投薬・認知行動療法を試してみたり、やっぱり死のうと実践してみたり自分なりに色々やってみた期間でもありました。

とは言っても「生」と向き合っては、そのどこまでも続く果てしなさに打ちのめされ、「死」と向き合っては本能を越えた先へ行く恐怖に打ちのめされてずっと行ったり来たりの繰り返しで、前進しているか後退しているかも分からない日々が続いていました。

 

こんな不毛な毎日をどうしても変えたくて、今日まで生きてきた様に思います。

そんな私の思いを見たり聞いたりした方やしょぼい喫茶店を応援して下さっている方々から沢山の「祈り」を頂きました。

何とかやっていってほしい

どうにか生きていてほしい

その皆さまの優しい祈りが大きなパワーとなってまた今日も生きています

明日もその先も生きていたいと思えます

 

不完全で、不安定な人間でも穏やかな毎日を望んでいい。

平和に安らかに生きることを望んでもいい。

今ある全てをそのままそのものとして受けとって、悩んだり葛藤したりしながらもなるべく心穏やかに過ごせる道を選び続けたいですね


これからまたトンネルに迷い込んでしまうこともあるかもしれないけど、この経験は必ず次に生きるはずです。

 

今、死にたい死にたいと思わなくてもすむ毎日を送れていることに心から幸せを感じます。

明日も生きていたいなあなんて思っている自分にちょっと怖さすら感じますね

 

こんなに幸せを感じてしまって良いのだろうかと不安になりますが、この幸せな日々をしっかり噛み締めながら過ごしていきたいです。

少しずつ何かしらの形で皆さまにお返しをしていきたいと思っています

今後とも宜しくお願い致します。

 

 

深夜メロンクリームソーダ部

メロンクリームソーダ美味しいですよね。
深夜に飲むとまた美味いですね
メロンソーダにバニラアイスがシュワシュワ溶けていくのを見るのが好きです

話しは変わりますが、最近誰かが撮ってくれた写真が増えたなあと感じます
写真は嫌いだったから、いつも撮る側に回っていて
映ることが撮られることがレンズを向けられることが見られることがとても苦手だった。

最近写真を見てこんな顔してるんだな~とか、こんな立ち姿なんだな~とか発見があった
大福みたいな顔を晒してしまっている時もあるけれど、どれもいい顔をしている
イキイキとしている
しっかり息をしている
確かにそこに生きている

消え入りそうになる時に光を灯してくれているのはいつだって私の存在を見ていてくれる人たちだ。
感謝していこう

明日もしっかり息をしていきたい
おやすみなさい。

春がきて、また去っていく

皆さま、こんにちは。

しょぼい喫茶店ではたらく店員 おりんです。

 

待ちに待った春が来ましたね

今年は桜が見れました。お花見も出来ました!

とりあえず新井薬師の桜並木が咲くまで生きるという目標は達成したな~という感じ。

次の目標は梅雨。何とか乗り切っていきたい。

 

来るまではとてもとても待ち遠しいのに、いざ来るといつの間にか過ぎ去っているのが春ですよね

そう考えると何だか寂しい気持ちになりますが、過ごしやすい気候の中で穏やかに生きているなあ~と感じる日々。至福である。

 

「春眠暁を覚えず」とは良く言ったもので、朝になっても眠っているのが心地よくて、このまま不眠症も治ってしまうのではないかというくらい最近眠れています。

有難いことですね

眠剤を手放す日なんて絶対に来ないと思っていたのに、少しずつその手が放れつつあって自分自身でも大変驚いています

 

お薬に限らず何でもそうかな~と思うのですが、ほど良い距離感でゆるっと繋がりながら生きていくのが良さそうですね 

力を入れすぎない。

そうすると「ゆるさ」がクッションになって、それが余裕に変わって色々なしんどい事を緩和してくれるような気がします

 

皆さまの春の睡眠はどのような感じでしょうか?

やっぱり眠くて眠くてふんわり心地良い感じなのかな~

しょぼ喫でそんなお話しも出来たら楽しそうですね

 

 

喉が痛い方を最近TL上で多くお見掛けしていましたが、私も昨日より仲間入りしました。

Komomoさんの送って下さった蜂蜜を飲んでます。感謝~~。

季節の変わり目ですので、皆さまも体調には十分お気をつけ下さいませ。

 

 

また喉が治ったころに更新します

 

 

その時はその時だ。

しょぼい喫茶店がオープンして1ヶ月が経ちました。
「とりあえず3月は駆け抜けよう、走りぬこう」
オープン日にえもいてんちょうとそんな話をした気がします。
結果的には走りぬけたかなーという感じです。
体感的にはあっという間でしたが、1日単位で見ていくと「今日も無事終わったね」と言ってその日を終えて次の日をまた迎える。
それを日々積み重ねていくような感覚でした。

今、私はとても貴重な尊い体験をさせて頂いていると思います。
色づくことはもう無いと思っていた人生に彩りが戻ってきました。
生活の仕方や考え方なども、色んな方にお会いすることで知見が広がりバリエーションが増えました。
これは本当にしょぼい喫茶店に携わって下さっている全ての皆様のおかげです。
運が良かったというかなんというか、色々な時の巡り合わせが幾重にも重なっての「今」だなあと感じています。
ありがとうございます。

とりあえず死なずに生きてきた自分にもほんの少しだけ感謝しようと思います。ほんの少しだけ。

そして短い期間ではありますがこんな生き方があるということを知れました。
今まで生きてきた中では想像も出来なかったような生き方で、毎日どこかに幸せがあります。
じわ~~だったり、ぶわあ~~だったりその時々によりますが日々感じます。

それにより何かあったとしてもなったらなったの精神だ。とか、その時はその時だ。と思える様にもなってきました。

今までは自分に言い聞かせていたのが馴染んできたような感じです。
それほどに私にとって2月から3月の期間は紛れもなく幸福なもので、ずっと胸の奥で大事にしていきたいなあと思っています。

その時はその時。
なったらなったで何とかする。

それ以上に構えたり悩んだりするのはとても疲れるので辞めていこうと思います。
限りあるエネルギーを大事に使っていきたいです。

今後ともしょぼい喫茶店をどうぞ宜しくお願い致します。
また書きまーす

一年前の私に教えてあげたいこと

こんにちは、おりんです。
雨の日が続いていますね
皆様いかがお過ごしでしょうか?

しっとりした薄暗い空気としとしとと響く雨音が、自分の薄暗い部分までかき消してくれるような気がして、何からかは分からないけどなんだか許される様な気がして安心する。
私にとっての雨の日はそんな感じです。

タイトルに戻ります
一年前はちょうど仕事で欝になって休職していた頃。
辞めたいのに辞めると決めきれず、職場から何度も復職するように説得を受けていた頃。
最近いろいろと話す機会があって文字に起こして思い出してみようと思ったので書きます。

人と同じことが出来るようになりたい、人と違うことが出来るようになりたい。
どちらの欲求も皆が持っているものではないかなあと思います。
小さい頃から横一列に並べられて、同じことを同じように出来ることが良いとされる。
その中でもより良い成績を残せれば褒められ、悪い成績であればダメだとレッテルを貼られてもっと頑張れ!もっとやれ!と叱咤激励を受ける。
幼い頃から私がされてきた教育はこんな感じ。

確かにある程度のことは周りと同じように出来たほうがいい
衣服の着脱や食事、排泄、歩行など人間生活を送る上で最低限のことは出来た方がいいし、挨拶やお礼は言えた方がいい。
買い物も出来たほうがいいなあ

求められるものは年齢とともにどんどん増えていく
人と同じことも違うことも、出来なければいけないという強迫的な圧で狭い空間にギュウギュウに押し込められていく
その空間からはじき出されないように自分自身を小さく固めて、それでいてまたギュウギュウの空間で「自分」というものを探る。
これはとてもしんどい
あまりにもしんどい。
多くを求められている(気がする)のに、自分が求めるものは分からなくなっていく
何が欲しいか 何がしたいか これからどうなっていきたいのか
何も分からなくなっていってグチャグチャになる。

何も要らないからもう何も求められたくないという思考に行き着く。

しがみつくのを辞めたら自分に価値はない。不良品だと認めることになる。
そうすればもう死ぬしかないと思っていたし、死ぬことでしか楽になれないと思っていた。だけどそうじゃなかった。
真っ暗な谷底に真っ逆さまに転げ落ちると思っていたけど、全然そんなことなかった。孤独でもないし一人ぼっちでもない

一年前の私に出来ることなら教えてあげたい。
その狭い狭い空間に必死でしがみつかなくても生きていけるということ。
明日の保証が何もないとしても、何となく人と繋がっていれば何となく生きていけそうだなあと思えること。

手放すことで手に入るものがあるんだ
握りしめていた手からふっと力を抜いたらそこから隙間が生まれる。
力を抜くのは勇気がいるし結構怖いことだ。
そこを乗り越えれば、ちょっとだけ隙間ができる。
その隙間が私にとっての「生きやすさ」。
手を握りしめれば握りしめるほど生きづらい。苦しい。息ができない。

だから私はこれからも隙間のある人間でいたいなあと思う。
抜けてる様に思われても、バカだと思われてもいい
誇れるような才能も特技もないけれど何かに触れたり、何かが通り抜けたり出来るような隙間をいつも持っていたらとりあえず死にたいとは思わなくて済む。

先のことは全く分からないけど、こんな生き方があると知れて良かった。皆さんありがとう。

ちっぽけだけど大切にしてること

しょぼい喫茶店がオープンして19日が経過しました。
支えてくださっている皆さま、応援して下さっている皆さま本当にありがとうございます。

ありきたりな言葉になってしまうのが悲しいのですが、心の底から感謝しております。

 

19日経過してみて思うことは

毎日ふわふわ気分は常に上昇︎︎ ⤴︎︎︎︎ ⤴︎︎
というお伽噺の様なものではないということ。

そんなに単純なものではないようで

実際はアップとダウンを繰り返しながらどうにかこうにかやっていっています

もがきながら模索しながらやっていっている

 

大丈夫大丈夫。何とかなる。何とでもなる。

なったらなんだの精神精神!!

何度も自分に言い聞かせながらやっていっている

 

やっていきの方々も皆さん通ってきた道なのだろうか

そもそも、やっていきの人類に自分は入っているのだろうか

考え出せばキリがない

それでも明日もやっていく

休みながらも、疲れたとかしんどいとか言いながらもやっていく

 

関わってくださる人たちを大切にしていきたい

今関わってくださっている人たちは皆、自分なんて何も出来ない空っぽな存在だと思っていた私に生命を吹き込んでくれた恩人だと勝手に思っている

だから大切にしたい。

 

お客様をお迎えの時とお帰りの時に必ず笑顔でお見送りをする。

お店を閉めるときには、えもいてんちょうと「今日も一日ありがとうございました。」とお互いに笑顔で言い合う。

いま私に出来るちっぽけだけど大切なこと。

笑顔は値段も価値も図れるものではないけれど、ニコニコすることは大切だ。

テンションを常に高く保つのは自分には難しい 

だけど、えらいてんちょうやえもいてんちょうも言ってたみたいにご機嫌な人でいることはとても大切だ。

どんな人と別れる時も帰り際は笑顔がいい。

これはこれからもずっと忘れずに続けていこうと思う。


明日もしょぼい喫茶店に来てくれた方をニコニコでお迎えして、ニコニコでお別れをする。

また会えたらいいなって心の中で小さく願いながらお別れをする。

 

どうにかなる。何とかなる。

ゆっくりゆっくりやっていこう

今後も暖かく見守って頂ければ幸いです。

 

 

湯船に浸かっているような

こんにちは。
しょぼい喫茶店で働く店員 おりんです。

店員なので、お店の中では大体カウンターの中にいます。
欲しいものリストから送って頂いたパイプ椅子に座っていることが多いです。

お客様にお飲み物や食べ物を提供した後にお顔を拝見すると、湯船に浸かっているような至福の表情をお見受けする機会が増えてきたように感じます。

難民社長のすごいコーヒーのお陰か、えもてん氏の美味い料理のお陰か、はたまたお客様のお顔を見る余裕が少し出てきたお陰か真相は分かりませんが。

目を細めて何とも言えない恍惚した表情をなさっているお客様を見ると、私も幸せな気持ちでほわあ~っと満たされます。

素敵な表情を見せてくださって有難い限りです。
カウンター越しにお客様からあたたかい光を当てて頂いている様な気持ちになります。

人生は光と影を用いて例えられたりしますが、私はどちらかというと影の中で生きてきた人間です。
何かの本で「置かれた場所で咲きなさい」という言葉を目にした時に、置かれた環境で咲けない自分は何て駄目な人間なんだろうと深く落ち込んだ事もありました。
ですが、何となく咲けそうな場所を自分で探して見つけてみるのもありだなあと最近思います。
光を当てる側になれる人は、誰かに光を当ててあげてほしい
影の中にいる人は、誰かから光を当ててもらえる場所がきっとどこかに曖昧な感じで存在するので探してみてほしい

今いる環境で上手くいかなくても、全然芽が出なくてもまた別の環境に行けば変わる気がします。

私も大きな花を咲かせるのは無理かもしれないけど、ぽつぽつとでも丸く柔らかく咲いていけたらいいなあ。

今日は日差しの心地よい良いお天気ですね
皆さん、無理せずやっていきましょうね。