ここは夢の中か

しょぼい喫茶店がオープンして、いま色んなことが巻き起こっている。たぶん。

私はここに確かに立っているけれど、夢の中にいるようなフワフワした感覚が足元で渦をまく。

朝が来てしょぼい喫茶店に行って、夜が来て友人の家に寝に帰る。
しょぼ喫にいるか、寝るか以外は何もしていない
夜は看護師時代の友人宅のコタツで寝かせて貰っている。
あったかい。固い床にももう慣れた。順応性って素晴らしいよね

そんでもって今は薄暗い部屋の中でしょぼい喫茶店から持ち帰ったキーマカレーを食べている。
うまい。ひたすらにうまい
明日、しょぼい喫茶店に来る人は食べられるやつ!

今まで食べることがずっと苦手だった。
食欲をコントロールが出来ないのと味がしないのとリバースが常にセットだったから苦手だった。
上手に食べる事がいつもいつも出来なくて、摂食障害は一度なると一生治らないと医師からも言われてもいたし現代医学を持ってしても、生きることと食べることは切り離すことが出来ないから治療はかなり難しい。

でも私はいまご飯が食べられているし、味がする。
食感の違う無機質な塊を食べてるんじゃなくて美味しいって心から言えている。
周りの人達のおかげだ。
可視化できない沢山のパワーが今この瞬間の美味しいに繋がってる。
有難いとしか言えない。

辛いことが当たり前だった。
今は夢の中にいるんじゃないのか?
いつか冷めるんじゃないか
明日には終わるんじゃないか

ご飯が美味しくて寝る場所があって、朝起きて夜寝れて夢みたいで怖さすらある。

明日人生終わっても幸せだったなあって思うと思う。
ただ、来週はお散歩に行ったり梅雨には会いに来てくれる人がいたり、新井薬師の桜並木がもうすぐ咲いたりする事を考えるともうちょっとだけ生きていたいなあとも思う。
銭湯にもまた行きたい。プハ~って湯船につかって言いたい。
欲張りかなー

長生きなんか出来なくて良いんだ
何となく毎日こんな感じで生きて死ねたら最高だ。

明日も明後日も、のらりくらりとどうにかやっていきたい。
おやすみなさい。

帰る場所がある

お客さんがお店にいる中、足りない物が発生して必要なものを買い出しに行く機会が増えた。

店長も私もそれを「お散歩」と勝手に呼んでいる。

ちょっとお散歩行ってくるわ~と言って買い出しに行く。

 

仕事中にお散歩に行けるというのはかなりの気分転換になる。

何よりも買い出しに前にお客さんに「行ってらっしゃい~」と言われて、買い出しから帰ってくると「おかえりなさい」と迎えられる。

ここが私の帰ってくる場所だ。

帰ってきても許される場所なんだなあ…

と言い様のない安心感に包まれる。

見送ってくれたお客さんが、また出迎えてくれる安心感。

ただただ時間が過ぎ去っただけかもしれないけど、しょぼい喫茶店のドアを開けた時にお客さんの声が聞こえてくるとその度にどうしようもなく感動してしまう。

 

帰ってきても良い場所、居てもいい場所、存在していても許される場所。

誰かにとってそういう場所になれば良いなあって思っていたけど、他でもない自分にとっても「しょぼい喫茶店」はそういう場所になってきている。

大事にしていきたい。

 

今日は雨ですが、11時からお客さんが途切れることなく訪れて下さっています。

平日の昼間に喫茶店で流れている時間、ゆったりとしていながらも訪れる方々は次に向かう情熱に満ちていて穏やかなエネルギーを感じて少し元気が出てきます。有難い。

 

珈琲ブレイク終わったのでまた書きまーす。

心が豊かになってきた

しょぼい喫茶店がオープンしてから4日が経過しました。

 

以前の日記で書いたように私は何か事ある事に心がザワつきやすく、止まらなくなるとどうにもならなくなるので頓服でも抗不安薬をのんでいます。 

ですが、しょぼい喫茶店がオープンしてからというもの身体の疲れはもちろんありますが抗不安薬をのむ回数が圧倒的に減りました。

そのことに自分自身でもとても驚いています。

あんなに手放せなかった頓服薬の存在を少し忘れてしまうくらいにはザワザワが減りました。

どうしてだろう…

理由を考えてみたところ日に日に「心が豊か」になってきているからではないかなあ~という結論に至りました。

元々、大金持ちになりたいだとかブランド物が欲しいだとか良い暮らしがしたいだとかいう願望は無い人間なので死にたいと思わなくても毎日を過ごせる今の環境はとても満足度が高いです。

こういう風に生きたかったんだなあ…これだよ、これこれ!

みたいな感覚がわりと常にあります。

 

お金は必要なものですが、最低限度の生活が自分のペースで送れるとなるとどれだけ沢山の富を持っているよりも豊かに暮らせるものなんだなあ~と感じています。

しょぼい喫茶店に来て下さるお客様や、応援して下さる皆様のおかげで3食ご飯を食べて、誰かと話したり笑ったりして、好きな時にトイレに行ったりタバコを吸ったり椅子に座ったり出来ています

お腹がすいたら何かをつまみ、喉が乾いたら水が飲めます。

眠い時には眠って朝が来ると起きて、しょぼい喫茶店に向かう。

日差しを浴びて綺麗な空気を店内に入れながら朝掃除をしていると私は何て豊かな暮らしをしているのだろう…。幸せだなあ。と毎日思います。 じわじわきます。

 

分からない事や至らないことも多い中ですが、ちょっとずつちょっとずつ日々を紡いで、ふぅぅ~っと疲れた人も息を吐きに来れるようなお店を作っていけるようにしていきたいです。

 

心が豊かになると人生も豊かになる。

これを教えてくださった皆さまに心より感謝申し上げます。

では、タバコ休憩からお店に戻ろうと思います。

また書きまーす

途中で辞めるのって案外悪くない

山下陽光さんが作っていらっしゃるリメイクブランドに「途中でやめる」 というものがあります。
制作途中でやめる。作るのを途中でやめた服をオンラインショップで売ってらっしゃるのですが、その売れ方が凄いのなんので最初びっくりしました。

私は山下陽光さんの本にもだいぶ影響を受けた気がします。
陽光さんの著書に「バイトやめる学校」という本があります。
赤と白のストライプのコントラスト強めの背景に力強く書かれた黒い文字の表紙。
読んだ人が線を引いたり、文字を書き込んだりして次の人に繋いでいく。
読んだらメルカリで売っちゃいなよ!そしたらタダで読めるでしょう?
みたいな陽光さんのコメントが最後に書かれていてこういう世界観面白いなーと思った記憶があります。

前置きが長くなりましたが、私も今まで多くのことを途中で辞めてきました。
・部活動も途中で辞めた
・高校に通うのも途中で辞めた(退学する予定だったけど何とか卒業)
・大学受験も途中で辞めた
・アルバイトも途中で辞めた
・面倒な人間関係も途中で辞めた
・新卒で入った仕事も途中で辞めた
・役職についた仕事も途中で辞めた
・人間であることも途中で辞めようとした

最後の項目以外は全部途中で辞めました。
不思議と後悔はしてないです
自分のことを失敗作だとか不良品だな~っていうのはいつも思っていたけれど、途中で辞めなければ良かったとは思わないです。
無理なものはどうやっても無理

ただ私の場合は本当に限界が来ないと何事も辞められないので、心身共に強めのダメージを喰らってしまい復活するのに時間がかかるのが難点。
そこはちょっとずつですが、限界の前に対処する方法を習得中なので何とかやっていきます。

今回言いたかったことは途中でやめるのって案外悪くないってことです。
仕事を辞めて人間を辞めようとまでなってなかったら今の私は存在しません。
無理なことを辞めて辞めて辞めてきたからここにいます。

ただ辞めるんじゃなくて、そこから1個でも多く知識・技術・ノウハウを覚えて身につけてから辞める。
その次に何かをしようとする時には、今まで途中で辞めて得られた知識を総動員+勉強します。

最近はやりたくないことは辞めちゃえばいいっていう考えが徐々に増えてきてる気もしてます。
個人的にはかなり嬉しい
私が好んでえらてんさん周囲の方々を見てるせいかもしれませんが…
もっと広まっていってほしいです

いま鹿児島で、明日の朝には上京予定なのですが
以前からもうこれ面倒だなー。途中で辞めたいなー。と思う事がいくつかあったので、それらも徐々に全部辞めてみました。
また気が向いたらやる可能性はある。

①流行や周りの目を考えた服装や化粧
寒かったりしっくりきてなかったりしても、周りを気にしてしまい本当は面倒で面倒で仕方ない中、気力を振り絞ってやっていました。
→自分が楽でいられるような服装・最小限の化粧にに変えました。清潔感だけは大切にし続ける所存。

②ロングヘア、巻き髪
乾かすの面倒。セットも面倒。スプレーなんかした日にはシャンプーも面倒。
それでも頑張ってロングヘアを巻いていました。面倒すぎて辛かった。
→バサっと切ってノーセットでも何とかなる髪型へ変更。
昨日更に切りました。

・ヒールの靴
足が細く見えるから好きでした。どんなに足が痛くてもヒール以外履けないと思ってた。
→どこへでも動き回れて、どんなに汚れてもOKなスニーカーに変えました

・食事
しっかり食べる事がしんどい、何をどこで食べるか考えるのも面倒
→無でも飲める栄養剤を薬局で購入&医師に処方してもらいました。
動くためにガソリンを入れるイメージで、この栄養剤を吸うことで食べれない=動けない事態を防げて身体のしんどさも減りました。

こんな感じですかね

人が使えるエネルギーには限界があります。
持っているエネルギーをどの様に使うかはその人それぞれに委ねられている。
無駄なことや疑問を感じながらエネルギーを消耗したくない。
私は元々の資源が少ない人間だからこそ、余計なものは削って、余計なエネルギー消耗を最小限に抑える。
なるべく楽に過ごせる様にする。

そうすることで、残ったエネルギーを大切な人たちに使いたいと思ったのです。

そんな気持ちから「もうやーめた!」と頑張っていたことをいくつか途中で辞めることにしました。
元々無理をしてやっていたことを辞めると、こんなにスッキリ軽くなるものなんですね
何度辞めてもジワジワくるなあ~~

見た目にコンプレックスがあったこともあり、外見至上主義とも言わざるを得ないこの世の中で見た目に固執してしまうのは致し方ない。
なので、途中で辞められて良かった~~!と思う事にします。

中途半端だとか、もったいないだとか言わずに無理なものは途中で辞めちゃいましょう。
辞めることで得るものも意外に大きいかもしれません
むしろ、無理なことを続けた時の心身のダメージを考えると…
一旦壊れた身体や心は簡単に治りません。最悪、一生引きずっていくことになるんです。

そう考えると途中で辞めるのって案外悪くないですよ!
無理をしていた頃には行けなかった様な場所に飛んでいけるバネになる。しかも大きな。

だから山下陽光さんの途中でやめるブランドのお洋服も飛ぶように売れてるのかもしれませんね。

今日からまた頑張っていきます、しょぼい喫茶店☕を何卒宜しくお願い致します。
皆さまにお会い出来るのを楽しみにしてますね!

立ち止まることなかれ

エデンの昼営業『出張しょぼい喫茶店』の売上げとわかり手バーのバーデン手伝い、えらいてんちょうからお小遣い、えもいてんちょうから遠征費を頂き、おかげさまで東京に10日間滞在し、その後東京から鹿児島に帰ることが出来ました。 ありがとうございます。

ということで現在おりん氏は鹿児島にいます。

月一でメンクリ受診があり、事情により病院を都内に変更するのが難しいのでしばらくは東京⇔鹿児島の参勤交代を続ける形となりそうです。

次回は2月28日に再上京します!

これもポルカというものを初めて立て、拡散や支援をして下さった方々のおかげで航空券を購入することが出来ました。

この場をお借りして再度お礼申し上げます。

本当にありがとうございます。

 

あたたかいお金というのはこういうものだなあ~と実感しています。

少しずつですが、同じように支援を必要としている方がいれば微力ではありますが私も支援をしていきたいです。

 

ビットコインにも言えますが、目に見えないお金の価値というのはその方それぞれの持つ価値観によって決まると思います。

そして温度の有無というのは気持ちが見えるかどうかだと個人的に思うので、そういった意味でポルカは応援したい気持ちが目で見える、あたたか~いお金が集まる場所ですね。

そういう場所があることを知って、さらには自分に支援をして下さる方々がいることを知れたのは私にとっては人生観が揺らぐほどの大きな出来事でした。

 

日々を生きていて不安が募ることも怖くなることも沢山あります。

私なんて要らないんじゃないか。生まれて来なければ良かったのに。。と落ち込むこともまだまだあります。

だけど、いま心臓は動いてるし息もしてるし死ぬことはそう簡単に出来ないんですね。

だったらどうにか楽しくゆるく暮らしていけるようにニコニコしていこう!と最近は思っています。

こう思えているのも全て関わって下さる皆様のおかげです。

 

ニコニコ連鎖を作ってゆるゆる連鎖を作って、ちょっとでも生きづらさを紛らわせれば最高ですね。

その為に私は立ち止まらない。

立ち止まると過去の事を深く考えてしまったり、誰にも分からない未来への不安に押し潰されそうになります。

だからバタついてもいいから立ち止まらない。 

何か動いて何かアクションを起こす。 

それに文句を言う人もいるでしょう。  

みんながみんな分かり合うなんて事は難しいですね、不可能に近い。 

文句を言う人がいればまたそれに対して面白いと言う人もいますから 

自分にとって気持ちの良い声を最大音量で聞いていきましょう!

 

なったらなんだ!の精神。

えらいてんちょうが教えて下さいました。

どうなってもなったらなんだ!の精神で生きていきます。

良い方に転んでも、悪い方に転んでも面白いと思うのです。

突然、鬱病の看護師が東京に飛び込んできてそこでもがいてバタついてるの結構面白いと思うんですよね

止まらなければ面白いことが見つかるかもしれないし、大失敗をしたらそれはそれで武勇伝になる。

 

立ち止まったらそれがないんです。

面白いことも大失敗も起こらない

それじゃつまらないんだなあ~

私自身も私たちを見てくれている人も一緒にワクワク ゾクゾクしたいじゃないですか。

 

動いて動いて小さくても良いから誰かに風を感じてほしい

ふっと頬を撫でるような優しい風でいい。

色んな角度から絶えず風を起こし続けていきたい

 その為には立ち止まることなかれ。

 鹿児島でもバタバタ動いて、たまに無になってってな感じでやっていってます。

 

バタついてもいい、立ち止まるな~!

 

助けを求めるタイミング

助けが必要な時、これからは声に出して伝えてみようと思う
動けなくなる前に言ってみようと昨日思った。

で、今日それを実践すべき瞬間があった。
だけど何も言えなかった。
まだ身体も動いたしメンタルも生きてたから

私は本当の本当に限界にならないと助けを求められないらしい。
もうグッチャグチャのダメッダメになって、一昨日みたいに動けなくならないと助けてって言えない。
でもそれじゃ良くない。手遅れになる場合がある。

助けを求めるタイミングっていつなんだろう
いつなら良いんだろう
どこまで頑張って、どこから頼ればいいんだ?
果てしなくそのタイミングが分からない。

何だろう…誰に習ったんだろうか
自分より相手を大事にしたいっていう気持ちが行き過ぎてしまってるのか
申し訳ないとか負担になりたくないとか傷つけたくないとかそんなのばっかりだ

ヘルプ!!って声に出せば良い。言って良いんだって思えるとこまでは来てるんだけど声が出ない。

しんどいこと、辛いこと、人が面倒だと思うこと…
そういうのは率先して自分からやります!やらせて下さい!って言って生きてきた。
自分が我慢すれば良い、耐えればいい、頑張ればいい。
そしたら周りの人がちょっと楽に過ごせるんじゃないかなって思ってしまって。
振り返ってみると、それで楽になった人なんていたのかすらわからない。
何でもそうだけど繰り返すと大体の事は周りにとっての当たり前になるし、辛い事が当たり前になると私はちょっとずつ壊れていく

どんな場面でも、一番しんどい思いをするのは私でなければならないという強迫観念に近いものがもう長いことこびり付いてる

この厄介な思考はいつから身についたか。
中学から始まったイジメがきっかけだったように思う。
誰よりも不幸そうに誰よりもしんどそうにしておくのが一番の対策になると学んでしまった。
そうしないと容赦ない制裁を受けるから。
あれは二度と経験したくない。誰にも経験して欲しくない。辛いなんてもんじゃない
自分より格下だと思える存在がいると人は安心するんだろうなーっていうのを身を持って感じた。

こういうのが色々入り混じって、今の生きづらさを自ら作っている
ただの偽善者のような気もする
したくない事はしなきゃいいのにどうしてそれが出来ないんだろう
助けてほしい時にどうして何も言えないんだろうね
どうやったら言えるようになるんだろう

いつもいつもこれを繰り返してる自覚はある。
今回はこの山をどうしても越えていきたい
成長のチャンスだと思って山越えていく
越えないと待ってるのは間違いなくまた自滅だと思う。
それだけはどうしても嫌だ

生きづらい人達が集まると生きやすい場所が生まれていく
私はどんな形でもその場所にいたい。
自分の為にもそういう空間を一つでも多く増やしたい
だから、毎日ちょっとずつでもやっていく
一歩進んで十歩下がるでも良い。
応援してくれたり、見守ってくれる人達が沢山いるからやっていけばどうにかなる。
やっていきの機運ここにあります。
やるぞ〜\( ´°ω°)/うおおおおお

死ぬ前に辞めちゃいましょう【2/10 追記あり】

最初に少し前職の話をさせてください。
以前働いていた職場では、病院だったので一分一秒を争うことが多く、患者さん一人一人と向き合う時間が正直ありませんでした。※前回ブログ参照
指導する立場になった時も、本人と向き合うより先にとにかく重視されるの仕事の効率×スピード。
それからクレームや医療訴訟の絶対回避。

もっと一人一人を大切にしたいのにそれが出来ない環境と、人が人として扱われず道具の様に消耗されている事が私にはどうしても苦しくて。
数ヶ所の病院に勤めましたが、どこに勤めていてもその感覚がありました。

苦しくて苦しくて、もう無理だ出来ない。死ぬしかない。と思って死のうとした事もありました。
結局、救急車で搬送されて助かってしまってこの世は本当に最悪だ…と思った事を今でもよく覚えています
それでも仕事は辞められませんでした。
次の日もその次の日も仕事に行き続けました。

仕事を辞めたい、でも辞められない
自分が行かないと周囲に迷惑がかかってしまう。仕事が回らなくなる。

ずっとずっとそう信じて働いてきましたが、それは思い込みだったと今は分かります。
貴方が仕事を辞めても、社会はまわりますし世界も回ります。
あったかいご飯も食べれるし、あったかい布団にも寝れます。

かなりの労力を要しましたが実際に辞めてみて本当にそう思います
辞める時は既にゾンビのようになってしまっていたので、自分一人の力では到底辞められず。
周囲の友人や家族のお陰で、取り憑かれたように続けていた仕事を何とか辞める事が出来ました。
休職から退職まで4ヵ月かかり、ひたすら辞めないように説得され続け、それはそれは地獄でした。

自殺未遂後、何回か上層部に「私はこのままでは潰れます。助けて下さい」と言いました。
が、上の返事は『自分の立場(当時、私は中間管理職でした)分かってる?もっと頑張れるよね?もっとやれるよね?頑張りが足りない』と更に追い詰めてくるものでした。
最後辞めるときに上層部トップの方と話しました。それだけ人材が不足した病院で限界まで使い込んでる自覚は病院側もあったみたいでついには謝罪をされ終末を迎えたのが昨年。

追い詰められると人はどんどん考える力を失います。視野が狭くなって先に行けば行くほど細くなる真っ暗なトンネルにいる様な感じになります。
そうなると『消えたい、死にたい』という思考に陥りやすくて、そこに一旦落ちるとかなり抜けにくい。
働きだした数年前~ほんの1ヵ月前までやっぱり生きるのは無理だ…消えたいと長い事思っていました。

ですが、お会いしたことのない方を含め『しょぼい喫茶店』の周りを取り巻く多くの方々から、人が生きていく道は沢山ある事を学んだのでとりあえず生きようと思える様になりました。

仕事を辞めてから、大学で看護学に加えて心理学を学び自分で自分の壊れた心を何とか治す方法を探しました。
そこで認定心理士 資格要件も取得しましたが結論から言うと、自分で自分の心は治せませんでした。
ですがそこでの学びは「私」という存在の一部を支えています。

人との交わりや関わりなくして己の変容はありません。
人は潜在的に他者と互いに影響しあい、協調的に学んでいく力を持っています。
その為に必要なのはトレーニングではなく『誰かのいる空間』です。

その誰かがいて何となく楽な空間を私はしょぼい喫茶店で作りたいなあと思っています。


仕事を辞めたいと思ってる人、死ぬ前に辞めちゃいましょう。
まだ体力が残ってるうちに辞めるのが最重要ポイントです。
今病んでる人は、「あなたには生きていて欲しい」なんて言われても聞こえないかもしれない。 届かないかもしれない。でも生きてて欲しいんです。

と言うよりも、もし楽にゆる~く生きる事が可能なら今死ぬより1000000倍面白いと思いませんか?

しょぼい喫茶店では、無条件にどんなあなたでも肯定する空気が流れてます。
あなたを否定する事はありません。指示をする事もありません。
もちろん聞かれれば、こうした方が良いかもよっていうアドバイスが出来る事もあるかもしれませんので、そういう使い方もあります。

まずは、あなたがあなたで居られる場所を作りましょう。
ちょっと良いかもって思ったそこのあなた!
あったかい飲み物とほかほかのご飯を用意して、穏やか店長と2月12日(月)&2月17日(土) 11時からエデンでお待ちしております。
3/1からは新井薬師前駅で本格的にオープン予定です。

日本の年間自殺者数 22000人
日本の交通事故死者数 3900人

皆さんはこの数字を見て何を思い、考えるのでしょうか。
いつかお話できる日を楽しみにしています。