一年前の私に教えてあげたいこと

こんにちは、おりんです。
雨の日が続いていますね
皆様いかがお過ごしでしょうか?

しっとりした薄暗い空気としとしとと響く雨音が、自分の薄暗い部分までかき消してくれるような気がして、何からかは分からないけどなんだか許される様な気がして安心する。
私にとっての雨の日はそんな感じです。

タイトルに戻ります
一年前はちょうど仕事で欝になって休職していた頃。
辞めたいのに辞めると決めきれず、職場から何度も復職するように説得を受けていた頃。
最近いろいろと話す機会があって文字に起こして思い出してみようと思ったので書きます。

人と同じことが出来るようになりたい、人と違うことが出来るようになりたい。
どちらの欲求も皆が持っているものではないかなあと思います。
小さい頃から横一列に並べられて、同じことを同じように出来ることが良いとされる。
その中でもより良い成績を残せれば褒められ、悪い成績であればダメだとレッテルを貼られてもっと頑張れ!もっとやれ!と叱咤激励を受ける。
幼い頃から私がされてきた教育はこんな感じ。

確かにある程度のことは周りと同じように出来たほうがいい
衣服の着脱や食事、排泄、歩行など人間生活を送る上で最低限のことは出来た方がいいし、挨拶やお礼は言えた方がいい。
買い物も出来たほうがいいなあ

求められるものは年齢とともにどんどん増えていく
人と同じことも違うことも、出来なければいけないという強迫的な圧で狭い空間にギュウギュウに押し込められていく
その空間からはじき出されないように自分自身を小さく固めて、それでいてまたギュウギュウの空間で「自分」というものを探る。
これはとてもしんどい
あまりにもしんどい。
多くを求められている(気がする)のに、自分が求めるものは分からなくなっていく
何が欲しいか 何がしたいか これからどうなっていきたいのか
何も分からなくなっていってグチャグチャになる。

何も要らないからもう何も求められたくないという思考に行き着く。

しがみつくのを辞めたら自分に価値はない。不良品だと認めることになる。
そうすればもう死ぬしかないと思っていたし、死ぬことでしか楽になれないと思っていた。だけどそうじゃなかった。
真っ暗な谷底に真っ逆さまに転げ落ちると思っていたけど、全然そんなことなかった。孤独でもないし一人ぼっちでもない

一年前の私に出来ることなら教えてあげたい。
その狭い狭い空間に必死でしがみつかなくても生きていけるということ。
明日の保証が何もないとしても、何となく人と繋がっていれば何となく生きていけそうだなあと思えること。

手放すことで手に入るものがあるんだ
握りしめていた手からふっと力を抜いたらそこから隙間が生まれる。
力を抜くのは勇気がいるし結構怖いことだ。
そこを乗り越えれば、ちょっとだけ隙間ができる。
その隙間が私にとっての「生きやすさ」。
手を握りしめれば握りしめるほど生きづらい。苦しい。息ができない。

だから私はこれからも隙間のある人間でいたいなあと思う。
抜けてる様に思われても、バカだと思われてもいい
誇れるような才能も特技もないけれど何かに触れたり、何かが通り抜けたり出来るような隙間をいつも持っていたらとりあえず死にたいとは思わなくて済む。

先のことは全く分からないけど、こんな生き方があると知れて良かった。皆さんありがとう。