助けを求めるタイミング

助けが必要な時、これからは声に出して伝えてみようと思う
動けなくなる前に言ってみようと昨日思った。

で、今日それを実践すべき瞬間があった。
だけど何も言えなかった。
まだ身体も動いたしメンタルも生きてたから

私は本当の本当に限界にならないと助けを求められないらしい。
もうグッチャグチャのダメッダメになって、一昨日みたいに動けなくならないと助けてって言えない。
でもそれじゃ良くない。手遅れになる場合がある。

助けを求めるタイミングっていつなんだろう
いつなら良いんだろう
どこまで頑張って、どこから頼ればいいんだ?
果てしなくそのタイミングが分からない。

何だろう…誰に習ったんだろうか
自分より相手を大事にしたいっていう気持ちが行き過ぎてしまってるのか
申し訳ないとか負担になりたくないとか傷つけたくないとかそんなのばっかりだ

ヘルプ!!って声に出せば良い。言って良いんだって思えるとこまでは来てるんだけど声が出ない。

しんどいこと、辛いこと、人が面倒だと思うこと…
そういうのは率先して自分からやります!やらせて下さい!って言って生きてきた。
自分が我慢すれば良い、耐えればいい、頑張ればいい。
そしたら周りの人がちょっと楽に過ごせるんじゃないかなって思ってしまって。
振り返ってみると、それで楽になった人なんていたのかすらわからない。
何でもそうだけど繰り返すと大体の事は周りにとっての当たり前になるし、辛い事が当たり前になると私はちょっとずつ壊れていく

どんな場面でも、一番しんどい思いをするのは私でなければならないという強迫観念に近いものがもう長いことこびり付いてる

この厄介な思考はいつから身についたか。
中学から始まったイジメがきっかけだったように思う。
誰よりも不幸そうに誰よりもしんどそうにしておくのが一番の対策になると学んでしまった。
そうしないと容赦ない制裁を受けるから。
あれは二度と経験したくない。誰にも経験して欲しくない。辛いなんてもんじゃない
自分より格下だと思える存在がいると人は安心するんだろうなーっていうのを身を持って感じた。

こういうのが色々入り混じって、今の生きづらさを自ら作っている
ただの偽善者のような気もする
したくない事はしなきゃいいのにどうしてそれが出来ないんだろう
助けてほしい時にどうして何も言えないんだろうね
どうやったら言えるようになるんだろう

いつもいつもこれを繰り返してる自覚はある。
今回はこの山をどうしても越えていきたい
成長のチャンスだと思って山越えていく
越えないと待ってるのは間違いなくまた自滅だと思う。
それだけはどうしても嫌だ

生きづらい人達が集まると生きやすい場所が生まれていく
私はどんな形でもその場所にいたい。
自分の為にもそういう空間を一つでも多く増やしたい
だから、毎日ちょっとずつでもやっていく
一歩進んで十歩下がるでも良い。
応援してくれたり、見守ってくれる人達が沢山いるからやっていけばどうにかなる。
やっていきの機運ここにあります。
やるぞ〜\( ´°ω°)/うおおおおお