枚挙に遑がない

最近好きなフレーズです。

【意味】
数え上げるときりが無い、数えられないほど沢山ある、などの意味の表現。「枚挙」は「数え上げる」という意味。

私は数え上げられないほどの可能性、思考回路、行動戦略がその背後には潜んでいる気がして、「枚挙に遑がないですが…」という前置き=枚挙しきれない程の武器を私は持っていますよ。という自己開示なのではないかと解釈してしまいます。

ブログや本でこの前置きを目にした事がある方も多いと思いますが、皆さんはどの様に感じるでしょうか?

この人は何かを持っている気がする。
この本で何かを得られる気がする。
そう期待させるには必要十分なフレーズなのではないかと思います。
そして、そのような期待を相手に抱かせた時点で例え期待に応えることがすぐに出来なかったとしてもその方はもうあなたの応援者です。

「はったりをかける」などという言葉もありますが、はったりとまではいかないにせよ、もしかしたらこの人は凄いのかもしれない。と1度でも思われれば人間はその自分の抱いた感情を正しいと信じ続けたいので、必死に正しいと信じるに値する証拠を探します。
逆に、自分の抱いた感情が間違っていると証明出来てしまうような証拠は無意識に見ない様にするのです。

ということは…
何を言いたいか分かりますね?
大事なのは徳を積み続け賢く優しい偉い人になることではなく、もしかして…もしかして…この人凄い人なのかも!?!と思わせる力です。

その力の示し方といったらこれこそ枚挙に遑がありませんが、この力が発揮出来れば「もしかして凄い人」→「本当に凄い人」に変わっていきますね。
外側からも内側からもどんどん刺激が加わるので、認知の中で絶えず行われているモニタリング⇔コントロールの結果、本当に凄い人になっちゃうんですね。

もしかして凄い人かも!?と思うのは皆さんにとってどんな人でしょうか。
100人いたら100人分の価値観があると思うのでこれを読んでる方の感じ方を是非聞いてみたいです。

以上、本日の学び録でした。