明日が怖い夜はきっともう来ない。

 

 

明日、夫に作る予定のお弁当のレシピを何度も見返しては、ムフムフしている。

朝スムーズに作れるように。

美味しく作れるように。

喜んで貰えたらいいなあ

お腹がいっぱいになったらいいなあ

お昼からも頑張るパワーになったらいいなあ

そんな事を考えながら作る予定のおかずのレシピを何度も見返して、8時間後に炊飯開始するで!と表示されている(初めて予約機能を使ってみた)炊飯器を眺めて何だか楽しい気持ちになっている。


小さいことなんだけど、こういう一つ一つが明日の楽しみになる。私は幸せだ。
明日が怖い夜はきっともう来ない。

嫌で嫌で仕方無くて、それでも無情にも明日はやって来た。出来ることなら明日を二度と迎えたくないと毎晩思っていた。

そんな夜は遠く遠くの知らない世界に消えてしまった。もう私から見えないくらい遠くにいって、そしてふっと消えて無くなった。

同じ闇が襲ってきても今度はきっと大丈夫だと思える。

それは夫をはじめ、昨年の2月に上京してから関わってくれた全ての全ての人達のおかげだ。

〇〇〇だから生きる価値がある人間。

よく働くから、ミスが少ないから、弱音を吐かないから、休みたいと言わないから、反発しないから、、、

人の価値の有無には理由が必要だと思っていた。それは自分以外の他人が決めることだとも。

その考えこそが自分自身を苦しめていたと今は分かる。

私たちは便利なロボットではない。機械とは異なり気分にも行動にもムラがある。

ムラなくミスなく、漏れなく分け隔てなく完璧に発言や行動をすることは出来ない。

人によってどこまで完璧に近づけるかは違うだろうけど、ある程度のところで限界がくる。

私はそれを知らなかった。

 

しょぼい喫茶店と出会って、色んな人達と出会って、生きる価値があるかどうかなんて誰かに決められることではないなあと思うようになった。

しょぼい喫茶店には存在するだけで良いんだと思える空気があった。

目には見えなくて絵にも描けないけれどあったのだ。

そしたらバリバリ働けなくても、頑張れない時や気持ちがしんどい時があっても自分に優しくなれるようになった。

お店を作ったえもいてんちょう、しょぼい起業を教えてくださったえらいてんちょう、店長に出資をしてくださったカイリュー木村さん、お店を応援してくれている沢山の方々。

その全ての人達のお陰で生まれた空気だと思う。私はその空気に勝手に救われた。

 

今までだったら必要以上に責め立てて追い詰めて「お前が悪い、お前のせいだ、お前に生きている価値はない」と呪文のように自分へ唱えていたであろう状況でも、もうその呪文を唱えることは無い。

というかそんな呪文の唱え方も忘れてしまった。

 

この世にたまたま産まれてきて今、心臓が動いて身体が動いている。生きている。

だから、生きるのだ。

そんな感じで力まずに過ごしてると、生きてて良かった〜!と思うことに結構出会う。

最近だとなんだろうなあ

夫と出掛けて小腹が空いた時にクレープ食べよっかと誘われたことかな

玄関の扉を開けた時にふわぁんと春の匂いがした時かな

えらいてんちょうのお子さんの説得力くんを1年ぶりに抱っこさせて貰った時かな

 

今日が過ごせて今が過ごせて良かった〜〜〜幸せじゃ…みたいな感じに近いかもしれない。

 

もうすぐ東京に来て二回目の春が来る。

桜が見られるまでは頑張りたいと言っていた昨年が懐かしい。その次の目標は梅雨だった気がする。

新井薬師の桜まつりに今年も行くぞ。イカ焼きとたこ焼きを食べるんだ。

またムフムフしてしまうなあ。